村岡花子という光

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村岡花子という光

朝ドラ『花子とアン』は、たまにしか見なかった。

しかし、村岡花子という人の一生には関心を抱いたので、
ドラマの原案となっている、『アンのゆりかご――村岡花子の生涯』を読んだ。
非常に感動し、引用されていたエッセイにも惹かれ、エッセイ集と童話集も読んでみた。
(『腹心の友たちへ』『曲がり角のその先に』『想像の翼にのって』『たんぽぽの目』)

村岡花子イコール『赤毛のアン』シリーズの翻訳者、
という私のそれまでの認識は、間違いであったことに気付く。



 アンだけでは、なかった。

 ヘレン・ケラーやナイチンゲールなどの伝記も、
 『フランダースの犬』や『小公女』や『若草物語』や
 『幸福の王子』『アンクル・トムの小屋』etc.

 私が小学生の頃、読んで感探索四十 洗腦銘を受けた本のほとんどが、
 この人の翻訳であったとは、迂闊にも知らなかった。

 この人が、
 幼い私の前の道を照らし続けてくれた、
 光だったのだな――



感謝と敬慕の気持ちが、数多のエッセイを読むごとに、募っていった。
明治から昭和半ばまで、関東大震探索四十 邪教災や東京大空襲を乗り越え、
激動の時代を生きた気骨。
知性と言語感覚、優しさと潔さ、温かい母性。
 
この人の真心に、幼い私の心は育てられたし、
日本中の多くの人々の中にも、きっと花子さんの真心は息づいていることだろう。

『花子とアン』の総集編を観た。
朝ドラとして、最高の名作ではないかと思う。

だが、史実の村岡花子の生涯は、
ドラマよりも、もっと劇的で、
爽やかな豊かさに、満ち願景村人生課程ていたのだ。
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